名前 おおいし よしひこ
好きな言葉
至誠一貫
趣  味

音楽鑑賞

家族構成
妻 子1人
LOM歴
2002年度 入会 拡大新入委員会 委員
2003年度 まちづくり運営幹事   静岡ブロック 新JC創世記 運営幹事
2004年度 事務局 次長   静岡ブロック 24LOM応援 副委員長
2005年度 事務局長
2006年度 新入会員・研修委員 静岡ブロック リーダー育成 副委員長 
2007年度 まちづくり室 室長 
2008年度 副理事長     東海地区 とうかい号広報記録 総括幹事
2009年度 副理事長   静岡ブロック ブロック会員大会運営 委員長
2010年度 ひとづくり 委員    日本 「地域のたから」創造会議
最終学歴

多摩大学

 
 

 


「 ありがとう 」 からはじめよう。

2012年度、理事長を拝命するにあたり、

私にこのような機会を与えて下さったすべてのみなさまに、まず心より感謝申し上げます。

ありがとうございます。

「ありがとう」とは「有ることが難しい」と書きます。

こうして所信を述べさせて頂くことができるのは、奇跡だと感じています。

 

2011年3月11日、私たちは甚大な災害を目の当たりにしました。

津波に押し流された被災地の光景は、かつての戦争の焼け野原を想起するに十分なものでした。

そして現在も日本の復興・再生には様々な困難が立ちはだかっています。

しかし、私たちの先達は、かつての戦争による荒廃から奇跡の復興を遂げ、

日本を経済的に豊かな国へと導いてくれました。

私たちはこのような先達の努力にあらためて感謝するとともに、

いまを生きる青年として、この国難を克服していかなければなりません。

 

『新日本の再建は我々青年の仕事である。

更めて述べる迄もなく今日の日本の実情は極めて苦難に満ちている。

この苦難を打開してゆくため採るべき途は先ず国内経済の充実であり、

国際経済との密接なる提携である。

その任務の大半を負っている我々青年はあらゆる機会をとらえて

互に団結し自らの修養に努めなければならぬと信ずる。』

 

これは1949年に日本で最初に産声を上げた青年会議所の設立趣意書の一節です。

それから60年以上を経た今日においても、私たちの住むこの世界には、

グローバル経済の進展の一方で膨らむ各国の財政赤字と格差の拡大、宗教・民族的な対立や弾圧、

資源や領土・領海を巡る紛争など、問題が山積しています。

私たちは日本の青年会議所運動の初志をあらためて胸に刻み、

私たちが直面している困難に対して積極的な変革を創出すべく行動していかなければなりません。

それが、この恵まれた日本という国に生まれた私たち青年に課せられた

『社会的、国家的、国際的な責任』だと私は考えます。

 

 

歴史の転換点に立って

今回の震災は、従来の日本国民の意識や社会構造を変えた

歴史的な転換点だったと、後世に語られるのかもしれません。

いま私たちは、ひとりひとりが依存から脱却し、真に自立することの大切さを、身をもって感じています。

明治維新以来この国の根幹を成していた啓蒙官僚主義に基づく中央集権体制の機能不全が、

ベルリンの壁の崩壊とバブル経済の崩壊以降、経済や政治・外交の停滞として顕在化してきました。

それが今や完全な末期症状にあることを、私たちはあらためて思い知らされました。

 

これまで強大な権限によって国民を指導、命令、規制してきた中央が、

国民の生命や財産を守るどころか、それを脅かす存在になってしまっていました。

地震と津波は紛れもない天災ですが、原発事故とその対応を巡る混乱ぶりは人災というほかありません。

 

中央では、「想定外の自然災害」だったことを理由にした責任のなすり合いと権力闘争が、

被災した国民を置き去りにしたまま続いています。

そして、それらの権力を監視するはずだったマスコミや御用学者と

揶揄される人々に対する国民の不信も頂点に達しています。

 

しかし、一方で私たちは未来に向けてのひとすじの光明も見出しています。

それは家族を、友人を、そして郷土を愛し、この国を愛する、

現場の名もなき人々の自発的な行動と連携によって生まれた大きな力です。

迫り来る津波を前に、身を挺して住民に避難を呼びかけた行政職員や消防団員、

被災地にいち早く駆け付け救助や捜索にあたった自衛隊や警察、消防、医療関係者、

ライフラインや交通網の復旧に奔走した人々、そして現在も福島原発のなかで放射能漏れと懸命に闘う人々・・・

 

たくさんの人々が全国から支援に駆けつけ、あるいは現地に赴くことのできない人々は、

協力して物資や義援金を集め、後方支援しました。

私たちは中央政府からの指示・命令を受けたから行動した訳ではありません。

いま、目の前の現場で起きていることに対し、ひとりひとりができることを考え、

自発的に行動し、互いに連携・協働することで大きな力となっていったのです。

 

そして何よりも、悲しみのどん底にあっても秩序を守り、

助け合いながら懸命に自立しようとしている被災者の姿は、支援している私たちに勇気を与え、

「真の自立とは何なのか」を問いかけてくれました。

「真の自立」とは、特定の何かに依存したり支配されたりすることなく、

自ら考え、自らの判断によって行動し、その結果に対して自らが責任を負うことです。

 

災害においては自分の身を自分で守らなければ、

家族を、まして他人を助けることなど到底できないという厳然たる事実を、

そして、いざという時への備えを他者に依存してしまうことの恐ろしさを、

私たちは嫌というほど思い知らされました。

 

私たちは『天は自ら助くる者を助く』というサミュエル・スマイルズの言葉を、

そして「自助・互助・共助・公助」の原則の意味を、身をもって学んでいます。

『歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、最も実り多い時代であった。

それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからである。』

スマイルズはこのようにも述べています。

この苦難を乗り越え、日本を真に自立した国家にして行こうではありませんか。

「頑張ろう日本」の意味するところは、決して「頑張ろう被災者」という他者への励ましではありません。

私たちひとりひとりが真に自立し、共に力をあわせて日本を再興していこうという、

自らに対するメッセージなのです。

 

 

いま、注意すべきこと

現在、震災を契機にエネルギー政策をはじめとして様々な議論が湧き起こっています。

国民的な議論が盛り上がることは大いに結構なことではありますが、

そこで注意しなければならない点があります。

それは、私たちひとりひとりが、これらの問題を他者へ責任転嫁することなく、

自身の問題として常に考えなければならないということです。

 

真に自立した個人として、その問題に対して「あなたがどう考え、何をするか」が問われなければならないのです。

マスメディア、とりわけワイドショーや週刊誌の類は、複雑な問題を簡潔に解り易く、

あるいは面白おかしく伝えるために、問題を単純な二元論に矮小化させ、

勧善懲悪的に「悪いのはコイツだ」というようにレッテル貼りする傾向があります。

 

大きな政府か小さな政府か?官僚主導か政治主導か?ゆとり教育か学力重視か?

勝ち組か負け組か?親米か親中か?護憲か改憲か?原発推進か反原発か?・・・

 

私たちがこのように提示された単純な二項対立のもとに自らの思考を停止してしまい、

問題の本質と原因を深く掘り下げることなく他者の提示する考えに依存するか、

あるいは他者の批判や排除に終始してしまうことは、

問題解決どころか問題をより一層増幅させる結果を生んでしまいます。

 

先に述べた中央集権体制の末期症状も、

「官僚が悪い」あるいは「政治家が悪い」として彼らを糾弾してみたところで

根本的な問題解決にはならないことは、今の政治の惨状を見ていれば明らかです。

 

その中央政府に依存し、あるいはその政治を生んだ私たち自身へ

「じゃあどうするか?なにをすればいいのか?」を

現実的、具体的に問いかけるところから始めなければならないのです。

 

ビジネスやまちづくり運動の現場にいる私たちからすれば、

このような単純な二元論にもとづく論争が、いかに不毛かが理解できるはずです。

 

例えばビジネスの現場で「安さか品質か?」

などという二項対立で「どちらが正しい」などという議論をすることほど馬鹿げたことはありません。

「価格」と「品質」という、相反する二つの命題を止揚し、

「高品質と低価格をいかに両立するか」を探求していかなければビジネスは成り立ちません。

 

目の前に存在する問題に対して「じゃあどうするか?」を自ら考え、

答えを出さなければ仕事が前に進まないことは、様々な現場で活躍するみなさんなら容易に理解できると思います。

 

私たちが生きるこの世界には、学校で教えられているような、

あらかじめひとつの「正解」が用意されている問題など存在しないのです。

そのとき、その時点での選択できる範囲での「最適解」を探しているのです。

さらには、原因が複雑に絡み合い、多様な価値観や利害関係が存在するなかで、

自分なりの考えや意見を形成し、且つそれに関わる他人も納得させられる

「納得解」を出す必要があるのです。

 

 

JC運動が、真に自立した地域と国家を創る

私は青年会議所こそが、個人の自立、地域の自立、

そして国家の自立に寄与する団体であると確信しています。

 

私たちの団体は、日本青年会議所が各地青年会議所からの出向者で構成されている事からもわかるように、

国家青年会議所の地方支部として中央からの指導・命令に基づいて活動している組織ではありません。

補助金や特定のスポンサー企業に依存する団体でもありません。

 

それぞれの地域のそれぞれの現場で問題と向き合う個人が同じ志のもとに集い、

問題解決のための手法について熟議を重ね、合意形成し、

自分たちの地域の問題を自分たちで解決するために行動する自立した運動体です。

そして、そのような全国各地の青年会議所が連携、協働しながら運動展開することで、

真に自立した個人と自立した地域、そして国家を創っていくのです。

 

『個人の自立性と社会の公共性が生き生きと協和する』日本を築くために

『率先して行動すること』を高らかに宣言するメンバーを全国に4万人も擁し、

現役・OBを問わず様々な業界や地域団体、政治、行政等に幅広いネットワークを持ち、

さらには国際的なネットワークを有している組織を、私は青年会議所をおいて他に知りません。

 

自立した日本を創造するために、青年会議所という組織を活用しないことは、

まさに「もったいない」ことなのです。

 

青年会議所運動をより多くの人に理解して頂けるよう発信し、

同じ志を持った個人や団体との連携をさらに推進すると同時に、

このような機会をより多くの仲間に提供すべく会員拡大を推進していくことが、

真に自立した地域と国家の創造につながると、私は確信しています。

 

 

二元論を超えて、私たちの団体がめざすべきこと

二宮尊徳の報徳思想

『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である』

という名言は、私たちの日々の仕事に於いてはもちろん、

青年会議所運動にも非常に示唆を与えてくれます。

 

これは「理念なき経営は犯罪であり、経営なき理念は寝言である」と言い換えることができます。

私たちは、組織が営利・非営利にかかわらず、それを経営する立場にあります。

 

メンバーや協力者から預かった経営資源、

特にそこに関わるひとりひとりが費やす時間やお金に対して、

それを無駄なく使い、最大限の効果を発揮することによって、

私たちの運動を支えてくれる関係者の付託と信頼に応えていく責任があります。

 

お金とは「有難う」を数字に抽象化し、人と人の関係を繋いだり切ったりする非常に便利な道具です。

もちろん、抽象性が高いが故に、様々な有用性の反面、危険性も孕んでいます。

また、社会に価値を創出し、そのお金という道具を生みだしているのも他ならぬ人間です。

 

しかし、この素晴らしい道具を使いこなし、費用に対して最大限の効果を出せない組織は、

やはり社会にとって「有難くない」存在なのだと言えます。

 

私たちは『明るい豊かな社会の実現』という崇高な目的を掲げ運動を展開していますが、

それが「寝言」で終わらないためにも、それを実現させるための手法と期待される効果を徹底的に議論し、

事業の費用対効果を検証し、経営の透明性を追求することで、

公益を担う組織として地域社会から「有難う」と言われる存在である必要があるのです。

 

 

「不連続の連続」のなかで

青年会議所は20歳から40歳という年齢制限と単年度制により、

人治主義を排した会議体として、常に代謝を繰り返しながらその活力を維持しています。

当然そこにはメリットとともにデメリットもありますが、

私たちはそのデメリットを超越し、連綿と運動を重ねてきました。

 

私が榛南青年会議所に入会した2002年は、

地方行政の効率化のための市町村合併を巡る議論が活発に行われている時期でした。

私たちが市町村合併に対する取り組みを通じて痛感したのは、

私たちの運動で重きをおかなければならないのは、

行政によって区分けされた「境界」ではなく、人と人との繋がりや結びつきと、

行政枠や世代を超えた連携だということでした。

 

『行政の枠を超え、共に力を合わせ、地域の発展に努める』

これこそが、私たち榛南青年会議所が創立当初から宣言していたことなのです。

 

そこで、2005年の総会決議を以って5年間継続開催したのが

「心と心を結ぶ祭り事業 榛南れんの祭り」でした。

また同じ年に前年度の長期政策策定会議の答申を受けて始まったのが「親学」の推進でした。

 

私たちは『まちづくりはひとづくりから』という考えのもと

「わんぱく塾」という事業を毎年開催してきましたが、

私たちにいま必要とされているのは、

子供の教育と同時に私たち地域の大人が「地域の親」として学ばなければいけないということでした。

 

幾多の試行錯誤を繰り返しながら「れんの祭り」は、

榛南地域の様々な人々とのつながりを深化させ、

さらにそのつながりは榛南を超えて各地に拡がりをもつものへと成長して行きました。

そしてその集大成として、

2009年の日本青年会議所の静岡ブロック協議会主管とブロック会員大会の開催を通じ、

県内各地の青年会議所へ私たちの運動を発信することができました。

翌年からは地域医療の問題をテーマに地域とともに学び、考えながら、

今までの榛南青年会議所のまちづくり運動を今一度検証することで、

次の30周年をひとつの節目に見据えた「れんの協働の推進」という政策を掲げました。

 

私たちが今まで深化させてきた「れん」という社会関係資本をさらに深化させ、

同じ目的・目標に向かって、対等の立場で市民が相互に連携し、

主体的にまちづくりに寄与していくことのできる協働を推進していこうという、

まさに自立した地域社会を創造する政策です。

 

こうして2011年、私たちはこの榛南をより良くしようという目的を持って

地域で活動する様々な団体を招き、地域の魅力を高めるための協働をスタートさせました。

 

ワークショップはお互いを尊重し相互理解に努め、課題に対して「じゃあどうする?」

を共に考える貴重な機会でした。それは「大人の学校」とでも言うべきものであり、

私たちが2004年から進めてきた「親学」そのものだったと言えます。

 

『まちづくりはひとづくりから』・・・

それは子供のみならず、私たち大人が共に学び、行動し、自立した地域を創造することでもあるのです。

 

「れんの協働」をさらに推進し、このような活動を積み重ね、

そこに関わるそれぞれの役割と責任を明らかにしながら「納得解」が導き出されるとき、

様々な分野で問題解決に向けた大きな波が生まれ、

より自立した地域社会に向かって前進できるものと、私は確信しています。

 

そして、来年には榛南青年会議所は創立30周年という節目の年を迎えます。

青年会議所における周年式典の目的とは、創立の志と今日までの歩みを再確認し、

そこに至るまでの様々な関係者に感謝すると共に、次の節目に向けた運動を高らかに宣言することです。

不連続の連続のなかで、私たちは今と真摯に向き合い行動し、

私たちが受け継いできた志をしっかりと次代に繋いで行こうではありませんか。

 


 

最後に

この国に大きな問題が起こるたびにマスメディアやネット上で繰り広げられる不毛な論争が、

人々の無力感や不安を増幅させている一方で、

私たちは今回の未曽有の災害によって「真の自立」に向けた「明かり」を見出しました。

他の何者かに依存し支配される関係においては、

そこには「甘え」と「不満」「不安」しか生まれません。

 

しかし、私たちが反抗期を超えて親から自立していく過程で、

生まれ育った故郷や家族に心から感謝できるようになって行くように、

自立した個人が織り成す自立した社会は、

きっと「有難う」に満ちた『明るい豊かな社会』であると私は信じています。

 

自立した榛南地域を共に創造して行きましょう。

そして「私たちの地域からこの日本の未来を創造するんだ」という気概と誇りを持って、

「ありがとう」からはじめようではありませんか。


2012年度 榛南青年会議所 スローガン

真に自立した榛南地域を創るために 「 ありがとう 」 からはじめよう。

 

▲Page Top